【日常の激変】身近な人の全国ニュース、彼女との別れ。22歳の僕のメンタルを救ったのは「昼休みのモンゴル人との草サッカー」だった話。

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人生、本当に何が起こるか分からない。

最近の僕は、一言で言えば「激動の渦」の中にいた。 仕事は順調で、製造業の現場で求める micron(ミクロン)単位の精密な仕事にも成果が出ている。週末の社会人サッカーリーグでも、左足のサイドハーフとして自分のイメージ通りにピッチを支配できている感覚があって、充実そのものだった。

――だけど、光が強くなれば、そのぶん影も色濃くなる。

ここ最近、僕のプライベートには、22歳のキャパシティを優に超えるレベルの「光と影」が、同時に、そして怒涛の勢いで押し寄せていたのだ。

今回は、そんな激変する日常の中で、僕が偶然見つけた「最高の救い」について、忘れないうちにブログに書き残しておきたいと思う。

第1章:突然訪れた、プライベートの「激震」

最初の引き金は、少し前に訪れた「彼女との別れ」だった。

これまでたくさんの時間を共有し、大切に想ってきた関係の終わり。どれだけ仕事やサッカーが上手くいっていようとも、一人の部屋に戻った瞬間に押し寄せる、心にぽっかりと空いた穴は隠せなかった。「前を向こう」と思えば思うほど、日常のノイズが頭の中でぐるぐると回り続ける。

そんな失恋の傷がまだ癒えきっていない、ある日のことだった。 いつも通りスマホを見ていると、狂ったように通知が鳴り始めた。地元の友人たちからのライン、SNSのタイムライン。

何事かと思って画面を開いた僕の目に飛び込んできたのは、到底信じられない文字列だった。

「身近な人間が、犯罪者として全国ニュースに載っている」

一瞬、頭の中が真っ白になった。テレビの向こう側の出来事だと思っていたあの青い報道画面に、知っている人間の名前と顔が映し出されている。心臓が嫌な音を立てて跳ね上がり、現実感が一気に足元から崩れ去っていくような感覚を覚えた。

失恋のモヤモヤと、身近な人間の逮捕という衝撃。 ポジティブな仕事の成果と、ネガティブなプライベートの激震。感情のメーターが振り切れて、自分が今、どんな顔をして日々を過ごせばいいのか分からなくなるほどのストレスが、確実に僕のメンタルを蝕んでいた。

第2章:仕事と週末のサッカーは絶好調、だからこその歪み

そんな私生活のどん底とは裏腹に、皮肉なほど「表の日常」は上手くいっていた。

仕事では、3年目になって明らかなブレイクスルーを迎えていた。 今までは主任や部長といった経験豊富な上司よりも時間がかかっていた超精密な作業を、今や彼らと同じ、あるいはそれ以上のスピードで正確に終わらせられるようになっていたのだ。1〜5ミクロンという、目に見えないレベルの誤差を追い求める世界。自分の技術の進化を実感し、上司からも直接褒められる機会が格段に増えた。

さらに、これは狙って頑張ったわけではないけれど、上層部から「今年の夏のボーナスは期待していいぞ」という、社会人として最高に嬉しい情報まで舞い込んできていた。

そして、週末の社会人リーグでのサッカーも、まさに「絶好調」の三文字がふさわしい状態だった。

彼女と別れた直後、モヤモヤを抱えて挑んだ久しぶりの公式戦。 左利きのサイドハーフとしてピッチに立った僕は、これまで溜まっていた感情をすべてぶつけるように走り、仕掛け、そして久しぶりのゴールを網に突き刺した。

僕のチームには、試合後のミーティングで「その日一番活躍した選手(MOM)」が選ばれ、最後の締めの挨拶を担当するという決まりがある。その日の締めを務めたのは、他でもない僕だった。仲間たちから認められ、拍手の中で挨拶をする瞬間。

仕事もサッカーも、周囲から見れば「これ以上ないくらい上手くいっている、充実した20代」の姿がそこにはあった。

だけど、だからこそ心の中に小さな「歪み」が生まれていた。

完璧にタスクをこなし、チームの主役として期待に応えようとすればするほど、無意識にミスを恐れ、体裁を保とうとする自分がいた。プライベートのヘビーなノイズを抱えたまま、公の場で「最高に調子が良い、ちゃんとした大人」の顔をし続けるのは、22歳の僕にとって少しずつ、だけど確実に心のキャパシティを削っていく作業でもあったのだ。

そんな、張り詰めた糸が今にも切れそうだった試合前日の、ある夕方のことだった。

第3章:いつもの河川敷、高校生だと思ったらモンゴル人だった

「とにかく気分転換がしたい。それに、少しは体を動かして明日の試合に備えておこう」

そう思い立ち、僕は1人でサッカーボールを抱えて、いつものお気に入りの河川敷へと向かった。失恋の傷も癒えぬまま、頭の片隅ではまだあのニュースの衝撃がぐるぐると回っていた。

その河川敷には、最近よく見かける集団がいた。いつも楽しそうにミニゲームに興じている彼らを見て、僕は勝手にこう思っていた。 「近くにクラブチームがあるし、きっとそこの高校生たちが集まって蹴ってるんだろうな」

夕暮れ時のグラウンド。1人、自主練がてらボールを蹴っていた僕のところに、その集団の中から1人の青年がトコトコと歩いてきた。そして、人懐っこい笑顔でこう声をかけてきたのだ。

「一緒にやらない?」

それが、すべての始まりだった。 誘われるがままに彼らの輪に飛び込んでみて、僕は衝撃を受けることになる。高校生だと思っていた彼らは、なんと遙か遠くの国から、ここ岐阜の地に働きに来ていた大人のモンゴル人たちだったのだ。

失恋直後、メンタルはボロボロ。 そんな最悪に近いコンディションの僕が、たまたま気分転換に河川敷へ行き、たまたま声をかけられた。もしあの時、「いや、1人で蹴りたいんで」と断っていたら。もしあの時、河川敷に行かずに部屋に引きこもっていたら。

そんな奇跡みたいなタイミングで飛び込んだモンゴル人たちのコミュニティは、僕がここ最近忘れていた「純粋な何か」を、強烈に思い出させてくれる場所だった。

第4章:「探りのない」純粋さと、学生時代を呼び覚ます最高の解放感

大人になってから、子どもの頃よりも圧倒的に「友達」が作りにくくなったと感じていた。 どこかでお互いの肩書きを見たり、空気を読んだり、日本人特有の「相手を探るような距離感」が、どうしても社会人の人間関係には付きまとう。サッカーのピッチですら、「ミスをしてチームに迷惑をかけちゃいけない」という安全牌のプレーに逃げてしまうことがあった。

だけど、河川敷のモンゴル人たちには、そんな見えない壁なんて最初から1ミリも存在しなかった。

彼らには、日本人特有のあの「探り」が一切ない。誰にでもフラットに声をかけ、良いプレーには素直に叫び、ミスをすれば大笑いする。そのマインドがあまりにも純粋で、温かかった。外国の人って、こんなにも真っ直ぐに人と繋がれるものなんだろうか、とハッとさせられた。

そして何より、彼らが作ってくれる「昼休み」のようなノープレッシャーの空気感だからこそ、僕は救われた。

ここでは、ミスを恐れる必要なんてどこにもない。ただ純粋にフットボールを楽しむためだけにボールを蹴る。そんな環境に身を置いた瞬間、僕の中で、学生時代にそれこそ泥泥になりながら必死に培ってきたドリブルの技術や、サッカーへの熱量が100%の解放感とともに呼び覚まされた。

左足で仕掛け、相手を抜き去り、ゴールを狙う。 自分の持っている技術を、何のフィルターも通さずに最大限に「魅せる」ことができる。ただそれだけのことが、今の僕にとってどれほど恵まれていて、贅沢なことなのかを肌で感じた。

今、ワールドカップの舞台でエムバペやメッシ、ヴィニシウス、オリーセといったスターたちが、世界中をワクワクさせるような純粋な熱量で仕掛けている。全部の試合を見たわけじゃないけれど、彼らのプレーを見るたびに胸が熱くなる。 あの大舞台の輝きと、僕たちが岐阜の片隅の、夕暮れの河川敷でモンゴル人たちと全力で笑い合いながらボールを追いかけている楽しさは、本質的に全く同じものだ。

言葉も、生まれ育った国も、抱えている現実も違う。だけど、パスが一本繋がるだけで、心の中のモヤモヤも、スマホの重い通知のことも、その「15分間」だけは綺麗さっぱり忘れさせてくれた。

最後に:日常の足元にある「純粋な幸せ」を大切に

僕たちの人生は、これからも続いていく。 私生活でどんな激震が起きようとも、僕はこれからも工場の現場でミクロン単位の精度を追い求めるし、FC Emperorの主力として左足でゴールを狙い続ける。仕事もサッカーも、この最高の波を止めるつもりはない。

だけど、もしこれから先、また何かに立ち止まったり、日常の完璧さに疲れて心がすり減りそうになった時は、あの河川敷の光景を思い出すと思う。

大人になると、いつも通りの安全なルートを選びがちだ。でも、もし今、日常に窮屈さを感じている人がいたら、いつもと違う一歩を踏み出して、誰かの「一緒にやらない?」に乗っかってみてほしい。

僕にとってのそれは、彼女と別れた直後、偶然飛び込んだモンゴル人たちとのパス交換だった。 そんな純粋に笑顔になれるサードプレイスが日常の足元にあるという幸せを、僕はこれからもずっと、大切にしていきたい。

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