序章:静寂を切り裂く「音」
あれは、今日のこと。
今まで一度も金縛りなんて経験したことがなかった僕が、初めて体験した「異常」な数分間の記録だ。
深夜、眠りに落ちるか落ちないかの境界線にいたとき、ふと、耳障りな音が聞こえてきた。
「ポツン……ポツン……」
水道の蛇口を閉め忘れたのだろうか。水滴がシンクに叩きつけられる音が、静まり返った部屋にやけに大きく響く。
「……閉めに行かなきゃ」
そう思って身を起こそうとした瞬間、全身に戦慄が走った。
指先一つ、動かない。
第一章:変化する音と、狂い出す予兆
体が石のように重く、布団に縫い付けられたようだった。
焦れば焦るほど、部屋の空気は密度を増していく。すると、単調だった水滴の音が、明らかに「意志」を持った音へと変わった。
「ギギッ……バシャバシャッ……ギギギッ」
誰かが、蛇口を乱暴に開けたり閉めたりしている。
それと同期するように、壁のエアコンが異常な音を立てて吹き出し始めた。まるで見えない何かが、その場の空気を激しくかき乱しているかのように。
「誰か、いる……?」
水道のある場所から、こちらに向かってくる「気配」があった。
ゆっくりと、確実に。床を踏みしめる音ではない。空気そのものが押し寄せてくるような、圧倒的な不快感。
第二章:視線の正体
僕は必死に抵抗した。叫ぼうとしても声は喉に張り付き、ただ荒い呼吸だけが脳内に響く。
その時、不意に視界の端に「何か」が入り込んだ。
布団の端。僕のすぐそば。
そこに、小さな男の子が座っていた。
暗がりの中でも、その子の表情だけははっきりと分かった。
男の子は、僕をじっと見つめていた。
そして、口角を耳元まで引き裂くような勢いで、**「にこーっ」**と満面の笑みを浮かべたのだ。
その笑顔を見た瞬間、体中にじわーっとした得体の知れない熱さと寒気が同時に駆け巡った。
結末:消えた残響
「動け、動け!!」
心の中で叫び、全身の力を振り絞った瞬間、パチンと糸が切れたように体が自由になった。
反射的に飛び起き、すぐさま部屋の明かりをつける。
そこには、もう誰もいなかった。
荒れ狂っていたエアコンは静かに風を送っており、何より、あれほど鮮明に聞こえていた「水滴の音」が、嘘のように消え失せていた。
キッチンへ走り蛇口を確認したが、シンクは乾いており、水が漏れた形跡さえない。
あの子は一体、どこから来て、どこへ消えたのか。
今も、ふとした瞬間に、あの不自然なほど白い歯を見せた「にこーっ」という笑顔が、脳裏から離れない。


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